急に大阪に用事ができたので、ボルタンスキー展に行ってきました。こちらの過去記事でチェックはしていましたが、まさか行けるとは思ってなかったのでうれしいです。
国立国際美術館は2回目か3回目かな?アンドレアス・グルスキー展に行った記憶がありますが、調べると2014年でした。その時以来です。この美術館は全て地下で、地上には入口しかありません。設計はシーザー・ペリだそうです。
クリスチャン・ボルタンスキー − Lifetime | 展覧会 | NMAO:国立国際美術館
1960年代末から現在まで、歴史や記憶そして死や不在をテーマとして活動を続ける現代フランスの代表的作家クリスチャン・ボルタンスキーの回顧展です。本展は、ボルタンスキーの半世紀にわたる活動を紹介するとともに、「展覧会全体をひとつの作品として見せる」インスタレーションによって構成されます。
入口でパンフレットと配置図がもらえます。作品の簡単な説明が書いてあります。作品の配置図の作品の番号は順番にはなっていません。さらに会場はうす暗いので手元のパンフレットが非常に見にくいです。うめき声、心臓の音などが聞こえる薄気味悪い中を分かりにくい配置図を持ってすすみます。これも演出なのでしょう。
半分以上のスペースで写真撮影が許可されています。とにかく暗いので、スマホではまともに撮れませんでした。時間も経ったので、見にくいですが載せておきます。
『合間に』
こちらでは大地の芸術祭で衝撃を受けた『心臓音』もあります。
『コート』
『アニミタス(白)』
『アニミタス(チリ)』
誕生日に南半球で目にした星空を300個の風鈴によって再現しているそうです。
『ぼた山』
ぼた山とは炭鉱の採掘の際に出る捨て石を積み上げた山のこと。炭鉱で働いた多くの人々の存在を象徴すると同時に、その個性と思い出がはかなく消えてしまうことをも暗示
『黒いモニュメント、来世』
突然の「来世」にちょっと笑ってしまいました。
いろんな人々の顔だったり、作者の顔だったり、顔が多い展覧会でした。ぼんやりとしたたくさんの写真の無名の人々の顔のなかにもいろんな人の人生があったはずということでしょうか。幸せに人生を全うした人もいれば、迫害されて殺された人もいる。ホロコーストの地下室を思わせるような展示室に対して、教会のような温かみのある展示室があるのが印象的でした。また、宗教の意味を問うような作品もあり興味深かったです。
一番ぐっときた作品は電球が毎日2つずつ消えていく作品でした。パンフレットの表紙になっています。まさにLifetimeをあらわしていますが、タイトルは『黄昏』だそうです。
大地の芸術祭にもありましたが、ただの裸電球がなんだか人の命や魂に見えてくる作品が多いですね。最後の日本語の作品は面白かったです。ちょっと周りの造作が学芸会っぽいと思ってしまいました。他にもボルタンスキーらしくない美しくロマンティックに見える作品もありましたが、悲惨な事故や銃撃戦がおこったところなど背景を知ると恐ろしかったり。
巨大空間を使った大地の芸術祭のときほどの感動もしくはトラウマにはなりませんでしたが、ボルタンスキーの世界を目で、耳で、空間で体験できました。大阪では5月6日(月・休)まで、東京の国立新美術館に巡回します。日曜日に行きましたが、空いていてゆっくり見られましたよ。
コレクション展も拝見しました。ボルタンスキー展とリンクした内容になっていました。
コレクション3:見えないもののイメージ
2019年2月9日(土)―5月6日(月・休)
「死者に捧げる儀式を行うこと」が芸術家の仕事であると発言するクリスチャン・ボルタンスキーの個展に呼応するかたちで、「見えないもの」をキーワードに、 「死者へ」、「作者と」、「天空に」という3つのテーマによって当館コレクションを解読し、紹介します。
こちらもボルタンスキー展に負けず劣らずなかなか尖った内容でした。好きな塩田千春さんの作品もありましたが、見ていて辛くなるほど強い作品でした。森美術館で開催される展覧会にも行きたいです。